沖縄文化協会2004年度公開研究発表会

2004年9月12日

【発表要旨】

 糸芭蕉および芭蕉布を織る技術のルーツについて 

カトリーヌ・ヘンドリックス

 

 糸芭蕉と芭蕉布を織る技術が沖縄に導入された経路については、いくつかの説がある。伊波普猷は、「琉球国旧記からは琉球人が支那に通じなかった以前、即ち1372年以前、既に芭蕉布を製していたことがわかる」とし、さらに「芭蕉という語はバナナと共に、印度の市名バーラナシーから来た語で、南島と印度との古い関係をほのめかすものであろう」とも述べた。また、田中俊雄は「沖縄織物文化の研究」の中で、「沖縄の最古の辞典である『混効験集』には「ひいしゃぐ」とあり、これはマレー語のPisangときわめて近く、沖縄の芭蕉は南方より伝来されたものであることは明らかである」と主張している。田中は、伝来された時期に関しては「大体は、1300年代から1400年代にかけてではないかと想像される」と述べた。

 その後、糸芭蕉と芭蕉布の伝来した時期については多くの論争がある。しかし、そのルーツは、伊波か田中の説がそのまま引用される場合が多い。

 私は、糸芭蕉と芭蕉布を織る技術が南方諸島から導入されたという説には同意できない。池宮正治がすでに「琉球服飾史の課題」(1998年)に述べたように、むしろ中国南部から導入されたのではないかと思っている。池宮氏は『天工開物』(1637年成立)の「夏布」の項からは、中国の芭蕉布の産地は福建であることと、中国では芭蕉布は粗悪で、衣服には適切でないものとして考えられたことが分かると述べている。

 本発表では、芭蕉布が中国南部から導入されたという説を裏付けたいと考えている。まずは、2年前の発表で述べたように、植物学から見ると、琉球列島に見られる糸芭蕉の品種は一種しかなく、中国南部にも見られるMusa balbisiana(学名)という種類と全く同じものであるとされている。それは南方諸島にあるアバカ、つまりMusa textilisなどの種類とは違う、芭蕉科の別の種類である。

 古文書で見ると、例えば、明代の李賢等撰『明一統志』に「蕉布、福州府ノ土産ナリ。各縣ヨリ出ヅ。」とある。歴史的背景から見ると、『歴代宝案』でも分かるように、琉球は南方諸島との交流よりも中国との交流は圧倒的に多かったようである。1390年代に中国の福州あたりから「閩人三十六姓」が渡来し、久米村に移住する。彼らは造船技術をはじめとして、中国の様々な技術を琉球に伝授したと思われる。中国政府には大型の琉球冊封使節団があわせて23回も琉球に来るが、首里王府からは、琉球進貢使節団や留学生が中国へ派遣される場合もあった。

 こうした論考によって、芭蕉布が持つ中国的側面の検討へ、さらには沖縄における中国文化のあり方への新たな視点にもつながっていくと考える。

2004912日 沖縄県立芸術大学

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糸芭蕉および芭蕉布を織る技術のルーツについて

 カトリーヌ・ヘンドリックス

ベルギー・リューベン大学大学院


 1.はじめに

 これまでの染織研究において、糸芭蕉と芭蕉布を織る技術が琉球国の大貿易時代に、東南アジアといった南方から導入されたという説が一般に認められている。本発表では、糸芭蕉と芭蕉布織りが、東南アジアからではなく、中国南部から伝来されたとの説を裏付けたい。


 2.糸芭蕉と芭蕉布の経路に関するこれまでの説のいくつかの例

   伊波普猷説:

『中山伝信録』の琉球語には、芭蕉を芭拉と書いてあるが、この語は今日でもバラヲー(芭蕉緒)という熟語となって遺っている。これはバナナと共に、印度の市名バーラナシー(波羅奈)から来た語で、南島と印度との古い関係をほのめかすものであろう。(伊波 1974 b [1938]82-83頁)

琉球人が支那に通じなかった以前、即ち西暦1372年以前、既に芭蕉布を製していたことが分かる。(添付資料①)(伊波 1974 b [1938]121頁)

  田中俊雄説:

沖縄の最古の辞書たる『混効験集』には「ひいしゃぐ」とあります。これはマレー語のPisangときわめてちかく、沖縄の芭蕉は南方より伝来されたものであることはあきらかですが、しかしそれは一体いつのことか 大体は、沖縄の南方航行のはじまった1300年代から1400年代にかけてではないかと想像されます(…)この1400年代の芭蕉布の存在は、ほぼ明確になりますが、もうすこし新資料がでそろうまでは、芭蕉布の確たる年代を決めることはできかねます。(田中 1976 [1952]91頁)

③辻合喜代太朗による伊波説の引用:

故伊波普猷氏の説によると、「芭蕉はバナナと共に印度の市名バーラナシーから来た語とし、南島と印度との関係をほのめかすものであろう」と述べている。

更に1711年刊の『混効験集』によると「芭蕉、ヒイシャグとマレー語の芭蕉の共通性から14~15世紀頃に糸芭蕉が南方からこの地に移植されたのだろう」という。(辻合 1978141頁) 

  上村六郎説:

もしかしたら、フィリピン(ルソンまたはマニラ)あたりからマニラ麻がまず伝えられたのは中国であって、沖縄は、中国の福州あたりとの交易によって、まずそのマニラ麻のことを知り、それを自国に生えているイトバショウに応用したというようなことであったのかも知れない。その伝来の年代とか或いは経路とかのことはよく分からないが、とにかくこの芭蕉布の製出の問題は、私は恐らくはフィリピンあたりのマニラ麻の文化の伝来によるものであろうと推定している次第である。(上村 1982169頁

⑤名嘉正八郎説:

糸芭蕉の原産地は東南アジアであり、糸芭蕉ならびに芭蕉布を織る技術は、東南アジアから、琉球国にいつ頃伝播したかを、究めることであろう。(…)つまり16世紀の初期から中期の間に、南方から糸芭蕉が輸入され、亜熱帯の琉球国の地理的・気候的条件に合致した繊維として好まれ、織物として普及したといえる。(名嘉 1993224頁、230頁)

 ⑥池宮正治説:

明代の技術を集大成した、宋応星の『天工開物』(1637年頃成立)の「夏服」の項に、「蕉紗有り、乃ち閩中芭蕉の皮を取り、析き緝(つむ)ぎて之を為る。軽細の甚だしきも値は賤し、而して質も枴(むな)しく、衣を為る可からず」(順ず)とある。これによると、芭蕉布は中国の福建が産地として知られているが、夏服として用いるには粗悪で適当ではない、というものである。恐らく琉球の芭蕉布生産の技術も産地だった福建から学んだものであろう。しかし琉球はこれを上品にまで仕上げて、逆に中国へも輸出する特産品にまで育て上げたのである。(池宮199827頁)

 

3.南方伝来説に対する考察

言語的な側面から考えると、『混効験集』(1711年)には「ヒイシャグ」とあり、田中説によると、これはマレー語のPisangときわめて近いので、沖縄の芭蕉は南方より伝来された。しかし、『混効験集』の中に「ヒイシャグ」は「芭蕉の実」と解釈されている(伊波 1974 a [1911]375頁;池宮1995121頁)。ここで注目したいのは、「ヒイシャグ」は実芭蕉の実(バナナ)のことで、糸芭蕉のことではないということである。また、池宮によると、「ヒイシャグ」の語源は「バナナの一本一本が「ひさご」に似ていることによる呼称か。」と解釈する(池宮1995121頁)。

        『南島雑話』によると、19世紀半ばの奄美大島の「ヒンサゴ」という語の意は「一名菓子バショウ。容ち、花房常の芭蕉に異ならず。然れども花至て紅、房長く、子核なく、味蜜のごとく。」と解釈されている(国分 1984b169頁)。つまり、この「ヒサゴ」は実芭蕉(バナナの木)のことだとされている。

        1477年に与那国島に漂流した3名の朝鮮人の報告(『李朝実録』)に、芭蕉布の記述はないが、当時の琉球国には「江南人及南蛮国人皆來商販(中略)菜有…芭蕉」とある(添付資料②)(嘉手納 197291-92)。この記述の中でも、「芭蕉」は実(バナナ)のことである。それらのバナナが東南アジアと中国との貿易で琉球に輸入され、那覇の市場で商売されていたと考える。

植物学から見ると、琉球列島に見られる糸芭蕉の品種は一種しかなく、それは中国南部にも見られる、学名のMusa balbisianaという種類と全く同じものであるとされている (本部町の都市緑化植物園の花城良廣園長の指摘による;Walker 1976324)。それは南方諸島にあるアバカ(学名Musa textilis)などの種類とは違う、芭蕉属の別の種類である。

東南アジアでの芭蕉布織りの歴史から下記のことが分かる。

        マレイシア諸島の14、15世紀の主な貿易品は、金、蘇木、胡椒やクローブといったスパイスであった。「アバカ」の語源はマレー語にある(長野・ひろい 1999264頁)としても、マレイシアの歴史にはアバカ布の記述は出ない。

        フィリピンの16世紀以前の歴史は不明なところが多い。フィリピンの文献は、ポルトガル人が始めてフィリピンを訪ねた1521年以降発展するとされている。16世紀のフィリピンではすでにアバカ布織りが行われていたが、それ以前には、主に木綿類が使われていたようである(亘197964-67頁)。20世紀にもアバカを織物の素材として使用していたのは、フィリピン南部のミンダナオ島のバゴボ、マンダヤ、ブラーン、ティボリ、マノボ、スバノンなどのいくつかのグループの人々である(長野・ひろい1999264頁)が、そのアバカ布織りの起源はいつまでさかのぼるのかははっきり知られていない。

        他にはタイの東北部やインドネシアのサンギル諸島とタラウド諸島などでもアバカ布織りが行われていたが、その経路についても記録がない。 

糸芭蕉以外の琉球織物の主な素材について

琉球では苧麻が自生しており、古代から織物に使われていたとされている。絹と木綿の紡績と製織は17世紀に日本本土より伝わってきたと思われている。中国では養蚕や絹布織りの技術は期限前より発展したが、中国はそれらの技術を他の国々に長い間秘密にしていた。東南アジアでは木綿は10世紀以前から広く使われていた。絣織りは東南アジアから琉球諸島に伝わったが、当時の絣織りの主な素材であった木綿は伝わってこなかった。

 

4.中国南部から伝来されたとの説の裏づけ

  1)     文献史料

『大漢和辞典』第9巻の「芭蕉」項目に「中国原産の多年生草本」とある(大修館書店 1986)。

明代の天順(1457-1464)初の李賢等撰『明一統志』に「蕉布、福州府ノ土産ナリ。各縣ヨリ出ヅ。」とある(李 1989183頁)。李献璋によると、蕉布は他の文献の中にも当時の明琉の貿易港福州の特産として出ている。

『李朝実録』によると、15世紀末頃の琉球では庶民が織物に使用していた繊維は主に苧麻である。『李朝実録』(1546年の記録)と『歴代宝案』(1587年の記録)には芭蕉布は高級な織物として初出する。先島の蔵元と首里王府との間の往復文書(『参遣状』など)からは、少なくとも18世紀までは先島では芭蕉布があまり織られていなく、首里王府が芭蕉布織りを強く薦めたことが分かる(添付資料③)。つまり、芭蕉布は最初は王宮で製織されたと考える。

 2)研究成果

張徳鈞の論文「両千年来我國使用香蕉莖繊維織布考述」の英文によると、著者は中国の芭蕉布のことを、文学を基にして広範囲で検討した。その結果、著者は広東を含む中国南部では、2千年程前から糸芭蕉の繊維が織物に使用されていたとする。また、高級な工芸技術によって織られた芭蕉布は中国では特に清代の文学作品の中で高く評価され、文学者たちに中国の名高い絹や麻の織物よりそういう高級な芭蕉布が細かで柔らかい織物だと思われていた。このため、芭蕉布は唐代と宋代には中国南部から支配階級への年貢であり、これは元代[1260-1368]初期までそうであったとある。(添付資料④)(張 1956115頁)

Li Hui-linの英論文Nan-fang ts’ao-mu chuang = A fourth century flora of Southeast Asia: introduction, translation, commentaries(4世紀の東南アジアの植物誌:訳注)の中に、明代から清代の半ば頃までの文学には芭蕉布に関する記録が豊富だとある。また、18世紀までには、芭蕉布は中国南部の一番繁盛する品物の一つであったと述べられている。(添付資料⑤)(Li 197934頁)

 “閩の帝国”(10世紀)では様々な織物を製織されていた。シャーファーによると、その中の一番優れていたのは(Pueraria)の織物であるが、その次に重要であったのは、「蕉紗」や「蕉布」と呼ばれた糸芭蕉で織られていた布であったという。(添付資料⑥)Schafer 195469頁)

3)中琉交流の歴史的事実

1390年代に中国の福州あたりから「閩人三十六姓」が渡来し、久米村に移住した。この閩人が、造船技術をはじめとして、中国の様々な技術を伝授したと思われる。上江洲敏夫が指摘した通り、中国の工芸技術も導入された可能性は否定できない(上江洲 19867頁)。例えば、漆の技術が中国から琉球に入ったが、琉球国は漆芸を高いレベルに作り上げて、漆品を王国の看板品として中国の皇帝へ献上していた(宮里 2004.8.19)。

中国政府の大型の琉球冊封使節団があわせて23回も琉球に来た。このような使節団の多くの人材が琉球に数ヵ月滞在し、琉球国に様々な面で影響を与えたことは推測できる。使節団は、直接に中国文化を伝えるほかに、贈物と貿易品を通じても、これらの品物の製造方法を研究することが出来た(謝 199542頁)。

琉球進貢使節団が首里王府から中国へ派遣された。琉球進貢使節団は福州に到着した後、正使、副使および関係者の20数人ぐらい上京するが、残りの数十名のメンバーは福建で貿易活動をした。使節が翌年福建に戻るまでは、このメンバーの中国滞在期間は半年か1、2年となり、その間様々な技術を学んだと推定できる。また、その琉球国の進貢使者は中国で衣服を作り、琉球に持ちかえり着用することが多かったようである(謝 199543頁)。

首里王府は、中国に留学生を20回以上も派遣した。これらの留学生は、通常3年から5年、長い場合は7年まで中国で勉強していた。彼らも、帰国した後、琉球で中国文化を伝えるのに大きな役割を果たしたと思われる。

4)言語的側面

芭蕉布は文献の中で「蕉布」として登場する(『歴代宝案』参考)。これは中国語でchiao-puと発音され、明らかに中国から入ってきた名称であろう。

 

5.まとめとして

琉球の芭蕉布織りの発祥は一般に東南アジアだと思われているが、フィリピンなどの16世紀以前のアバカ布織りの歴史ははっきり知られていない。中国南部では芭蕉布織りは少なくとも10世紀以前より行われていたことは事実である。

琉球の場合には芭蕉布は文献では16世紀、つまり中国との進貢貿易の始まりから約200年後に初出する。中国南部ではやがて糸芭蕉が次第に織られなくなっていた一方、中国から琉球へ伝わった芭蕉布織りは琉球で盛んに織られるようになり、中国への進貢物となった。また、15、16世紀のフィリピンをはじめとして、東南アジアの港町に中国の貿易商人が大勢住んでいた。東南アジアも、アバカ布織りの技術は中国人との交流で伝わった可能性があると考える。

 

6.おわりに

沖縄の工芸技術の中では、例えば優れた漆文化の存在は、琉球と中国の「交流の証」とされているが、本研究の継続によって、芭蕉布を通して琉球と中国文化との歴史的関わりへの新たな視点につながっていくと考える。

 

参考文献

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