第2部 文献資料のレビュー

第1章    琉球列島における染織に関する文献資料

第2節    琉球列島の主要な紡績繊維

琉球列島で織物に使われてきた主な紡績繊維は苧麻、糸芭蕉、絹と木綿であり、この4つの繊維を下記の異なる項目で紹介する。各項目はその繊維の学名と基本的な特徴・特性の紹介から始まる。より詳細な紹介は、植物学者の知識を必要とするので、ここで省略する。その次には、それぞれの繊維に関する文献資料を紹介する。芭蕉布及びその原料となる糸芭蕉は本研究の主題なので、それについては後程詳細に検討する。本節の主な目的は、混乱を避けるために、この4つの繊維を定義する事である。

第1項 苧麻

苧麻の学名と特徴について

 琉球列島ではカラムシの幾つかの種が発見された。琉球列島に一般に見られるカラムシは日本語で「苧麻」(ちょま)といい、その学名はBoehmeria niveaとされているが、 Boehmeria nippononiveaBoehmeria yaeyamensisという、他の種も記録されている。これらのカラムシの種はイラクサ科の多年生植物であり、Boehmeria niveaは南アジアから日本を含む東アジア地域まで広く分布し、古くから紡織用繊維を採るために栽培された[1]。また、それは生の繊維素材として中国からヨーロッパへ輸出されて、「China grass」(中国草)として知られていた。

 琉球列島に見られる「苧麻」という名前からは、この種は麻類だと判る。麻には他には亜麻、大麻や黄麻などがある。カラムシは中国から韓国と日本本土経由、琉球列島に伝えられた[2]。カラムシの「から」(唐・韓・伽羅)は、『日本国語大辞典』によると、古代の日本語で中国、韓国又は広く「外国」のこと、「ムシ」は韓国語の「モシ」から来て、苧麻のことを指している。苧麻は、上述した外国由来にもかかわらず、元々琉球列島にあった最古の繊維のひとつだと考えられている。苧麻の植物とその繊維は、沖縄諸島で「ウー」、先島諸島で「ブ」と呼ばれ、それは地元の方言で発音した「お」(苧)、つまりカラムシのことである[3]

苧麻、繊維専門家には、一般的に優れた繊維を有する植物であると考えられている。他の植物繊維と比べると、衣類などに使える高い引張強度を有し、かなり丈夫で、比較的に白い繊維が採れるからである。苧麻の繊維はその茎の皮から刈り取って収穫され、刈り取った後、すぐに新たな成長が始まる。年に34回収穫できる(石垣島の新垣幸子氏との個人的なやり取りで得た情報)。琉球列島では、苧麻の繊維は茎の生の状態から抽出される。糸の品質は、繊維の品質及び糸の作り手の能力に応じて、粗い糸から極めて細い糸まで大幅に違う。苧麻の糸の作り方は、茎を分割して、その部分を撚り合わせて繋いで、「績(う)む」と云う。

文献的証拠

 琉球の最古の歌謡集「おもろさうし」では幾つかの詩に織りの記載がある。但し、これは元々口承文学で、殆どの場合には繊維の名ははっきりと表現されず、不確かなままである[4]。例えば、「真苧」や「真糸」の記載があるが、前者は苧麻なのか、後者は絹糸なのか、はっきり判らない[5]。もう一つの琉球古謡である「うりづみこゑにや(ウリズミクェーナ)」は、「真肌苧」の刈り取りから糸作りと織りまでの苧麻布の製造工程の概要を語る。この詩でも繊維の名前ははっきり表現されていない。しかし、その繊維の最高級品である「真肌苧」を抽出する第一及び第二の作物は旧暦の第二・三月の頃、ならびに初夏(すなわち旧暦の四・五月)に刈取すると云うので、それは苧麻を指していることを特定できる[6]。これらの詩が作成された正確な時期が知られていないが、琉球列島における苧麻の最古の証拠だと考えられている。

 古琉球時代における苧麻の最古の記録は前述した『朝鮮王朝実録』にある。1477年に与那国島に難破した韓国船員は、与那国島と沖縄本島の間の様々な島に合計2年間滞在した。彼らは与那国島で織物に使われていた繊維に関しては次のように記録した。

引用文[7]

                    無麻木綿 亦不養蠶 唯織

読み下し文[8]

                    麻・木綿無し。亦た蚕を養わず。唯だ苧を織りて布を為る。

これらの朝鮮人は、多良間島でも苧麻が織られていると述べている。

引用文[9]

                   其俗用苧布染藍 擣而爲衣 其色如彩段

読み下し[10]

                  その俗、苧布を用て、藍で染め、(その布を)擣ちて衣を為る。其の色は彩段の如し。

 藍で染められた苧布は絹のような光沢が出るまで打つと云う当時の朝鮮人の観察は、恐らく今日「宮古上布」として知られている布の事を指すだろう。宮古島で織られていた布に関しては、新井白石は1719年に脱稿した『南島志』で次のように書いた。

引用文[11]

                  麻苧 () 南島所産、閩書所謂太平、出禾苧、即此。《太平山見地里志 方物曰太平布

現代語訳[12]

                 麻と苧(…)南の島の生産品である。『閩書』に「南に太平があって、禾と苧が出る」とあるのがこれである。(…)《太平山は地里志を見よ。方物を太平布という。(…)》

琉球王国時代には「太平山」は宮古島と八重山諸島の両方の事を指したが、薩摩侵攻以降は「太平布」というのは大和で特に評価されていた前述の宮古上布の事を指していた[13]。八重山上布もあるが、八重山上布には宮古上布のように光沢を出すために打つ作業はなかった。朝鮮人の記述からは、先島諸島では15世紀後半から主に苧麻が織物の繊維として使われていた事が判る。

 朝鮮人は、1479年に首里に到着し、そこで 当時まだ14歳の尚清王の母親とその護衛を見たと云う。その記録によると、当時の沖縄本島でも主に苧麻が織られていた。

引用文[14]

                    者幾二十人 美婦四五人 綵段衣 布長衣

読み下し文[15]

                  舁く者、二十人に幾し。皆、白苧衣着し(…)。美婦四、五人、綵段の衣を着し、表に白苧布の長衣を着す。

上記の記録は、15世紀末頃に、琉球人が主に苧麻から織られた布で衣服を作った事を示す。

これらの記録は、苧麻が当時、琉球固有の織物繊維であったという証明として一般的に使用されている。又、琉球列島では苧麻はおそらく15世紀末よりも大分前から織物繊維として使用されたと考えられる。[16]



[1] 堀田1989155

[2] 岡村198977頁、107

[3]『日本国語大辞典』「お・を・麻・苧」

[4] 例:外間2000138-139頁。この詩は、若者が植物を収穫し、その繊維を採り、それを細かい布に織る事について語っているが、どのような植物と繊維の事なのか証拠はない。

[5] 例:外間2000391-392頁。外間はここの「真糸」を「からむしの糸」と訳す(外間 2000391頁)が、『日本国語大辞典』によると、「真糸」は絹糸である。

[6] 伊波1974187-188、田中1976147-151

[7] 『朝鮮王朝実録』「朝鮮人漂流記」

[8] 池谷編 2005b229

[9] 池谷編 2005a63頁   朝鮮王朝実録』「朝鮮人漂流記」

[10] 池谷編 2005b234頁。多良間村史1986675頁。色=つや、光沢(諸橋轍次編『大漢和辞典 第9巻』30602);彩段=綾絹(彩=綾又は綵)と段=緞、緞子(『大漢和辞典 第6巻』16619

[11] 新井白石『南島志』「食貨九」PDF41頁)

[12] 原田1996175

[13] 小野2003215頁、原田1996176:6

[14] 池谷編 2005a64

[15] 池谷編 2005b236頁、島尻1990?:588

[16] 田中197688