第2項目 糸芭蕉

糸芭蕉の学名と特徴について

琉球列島に見られる糸芭蕉はバショウ科バショウ属に分類される大型多年草である。アメリカ人の植物学者Egbert H. Walker18991991)は1936年に初めて「(沖縄に見られる)糸芭蕉の種子、苗、花がMusa balbisianaという種と同一物である事」を報告した[1]。この事は後ほど、日本人の植物学者兼農学博士初島住彦(19062008)や中国南部でバショウ科の植物に関する調査研究を行った花城良廣を含む現代の植物学者によって確認された[2]。従って、糸芭蕉の学名は、従来様々な学名が与えられてきた[3]が、最も適して現在一般に認められている学名はMusa balbisianaである[4]。現代の植物学者によると、琉球列島を含む日本全国に見られるどのバショウ科の植物も元々日本になかった[5]。琉球糸芭蕉は何時、どこから琉球列島に導入されたかという疑問は本研究の第3章で検討する。

「糸芭蕉」という和語は、おそらく「実芭蕉」と「花芭蕉」という、バショウ科の他の2種と対照的に名付けられた。琉球語では糸芭蕉は「ウーバサー」、「バサー」や「バシャ」、芭蕉糸は「バシャウー」や「ウー」と云う。例えば、現在、「芭蕉布の里」と云われる沖縄本島の北部山原地方では「ウー」(日本語の苧〔お〕)とは芭蕉糸を指す。又、平良敏子氏は「ウーバーラ」とは糸芭蕉の繊維(ウー)を入れるための目の細かい竹で編んだ籠であると解説した[6]。前項では「苧」(お)と「真苧」(まお)は苧麻(カラムシ)を指すと述べた。但し、「バシャウー」(芭蕉糸)と「ウーバシャ」(糸芭蕉)という表現からは、琉球列島では「ウー」とは一般的に繊維のことを指す事が判る。従って、「ウー」は、地域に応じて、苧麻(カラムシ)と糸芭蕉いずれかを表している。

 糸芭蕉を含むMusa類の植物は単子葉植物に属する巨大なハーブ(草木)である。琉球列島における糸芭蕉は高さ4、5メートルにまで成長できる植物種である。外形は木本のように見えるが、その茎は葉鞘からできている偽茎(仮茎)である。この偽茎は常に大きく堅牢になり、その直径は成熟に達した植物になったとき20センチである。その葉鞘は緑や黄緑で、楕円形で、基部に丸みを帯びて、比較的に直立しており、長さ最大2メートル、幅50センチほどになる。次々に偽茎の芯から出て成長する。糸芭蕉は、短い茎のある小さい実が付き、黄色く熟するが、その果実は種が多いため、バナナのようには食べられない。糸芭蕉の花は3040センチ位の枝に付いて赤紫色の葉っぱがある。糸芭蕉の株は巨大なポテトに似ており、1つの株から多くの芽が出て同一の植物が育ち、茂みに生える。芽から成熟までに23年かかる。高温多湿の環境で急速に繁殖するので、沖縄の湿った丘の斜面が糸芭蕉の成長に適切な場所である。糸芭蕉の手入れについては第4部で説明する。

 糸芭蕉は、靭皮繊維ではなく、葉脈繊維である。また、その繊維は、緑色の葉っぱからではなく、偽茎の内側の白い葉鞘から採る。繊維の採り方についても第4部で説明する。

文献的証拠

本部の第2章では琉球列島における芭蕉布に関する文献資料について詳細に述べるので、本項では、糸芭蕉及び芭蕉布に関する、1819世紀の文献資料に限定する。その2世紀の間、糸芭蕉が琉球列島で主な手織り用の繊維として用いられるようになっていた。

糸芭蕉と芭蕉布に関する、もっと古い資料は後ほど第2章で検討される。

日本本土では、新井白石は『南島志』(1719)の下巻「食貨 」で次のように述べた。

引用文[7]       男女事耕織 多出取芭蕉生三年者 辟纑成布 最極纖巧 苧次(…)  

現代語訳[8] 男女は耕作と機りに従事する。生産の多くは芭蕉である。芭蕉えて三年したものを切りとって、糸をつむぎをつくる。
                      きわめて精緻に織られる。とがこれに次ぐ(…)。

 極めて細かい芭蕉布が苧麻布より優れているという上記記載の考えは、19世紀半ば、名越左舷太も表現した。例えば、左舷太は「芭蕉之事」で次のように書かれた。

引用文[9]        芭蕉を織(る)事は琉球、先島を初めとし、大島、徳ノ島、喜界島、沖永良部島に限ぎりたる名産にして、
                      上製は越後などにも勝りて美しく、着すれば、涼しく軽く至てよろし。島中皆此服にして、家々の婦人手製困苦を尽せり。

    上記の記述からは、19 世紀半ばに先島諸島から奄美諸島までの琉球列島の各地域で芭蕉布が織られていた事が判る。又、九州出身の左舷太は、上級の芭蕉布が越後布より優れていると主張する。今日は越後布は越後縮として知られている。19世紀初期には日本本土では、「上布」とは主に「越後上布」の事を指しており、他の布の価値を判断するために越後織りを基準布として使用していたようである。                    

 1719年に尚敬王の冊封使として来琉した徐葆光は『中山伝信録』(1721)六巻の「物産」において次のように述べた。

引用文[10]          家種芭蕉數十本。縷絲織為蕉布。男女冬夏皆衣之。利匹蠶桑

読み下し[11]    家ごとに、芭蕉数十本を植え、糸を績んで芭蕉布を織る。男女ともに冬も夏もすべて着用する。その価値は養蚕に匹敵する。

上記の記録では、徐は各家庭が芭蕉布作りのために糸芭蕉の必要量(数10本)を栽培していた事を指摘している。それはおそらく、フィールドワークの時よく聞いたように、家の近く又は畑で栽培していたと思われる。又、徐は冬と夏、つまり年中、男女共が芭蕉布を着用していた事も述べている。ところが、「(芭蕉布の)価値は蚕と桑(つまり、絹でできた布)に等しい」という意味を明らかにしない。一方、庶民にとっては、着用していた支配階級の絹布の材料である蚕とその餌となる桑と同じように、糸芭蕉が重要であった事を意味すると思われる。他方、細かい芭蕉布は、絹布のような光沢のあるために知られているので、衣類に絹糸を使用する許可がなかった庶民に糸芭蕉が育てられ、布に織られて開発されたとも考えられると思っている。

 もう一つの18世紀の文献資料は儒学者、土佐藩の戸部良熙の『大島筆記』(1762)である。ここで「大島」は、奄美大島ではなく、現在の高知県の柏島の事である。『大島筆記』は、戸部が1762年に薩摩へ向かう途中に難破し、柏島に漂着した琉球船の乗組員に事情聴取した記録を載せたものである。これらの琉球人の話に基づく琉球の歴史、伝説や習慣の様々なテーマについて記録されている。[12] 

戸部は芭蕉布について次のように述べる。

引用文[13]            芭蕉:諸所夥しくあり、手入をし苧に仕成織る、朝服なども芭蕉布也。名産の第一なり。

上記引用した記録からは、18世紀の半ば、糸芭蕉は琉球列島の各地で育てられており、「朝服」(公式服)を含む衣類のための主な手織り用の繊維になっていた事が判る。『大島筆記』は、広く読まれるようになり、当時の日本本土への琉球の紹介として重要な役割を果たした[14]

 欧米の琉球への訪問者の物語では、植物繊維は一般的に「麻」や「リネン」として指定され、これはおそらく苧麻と糸芭蕉の両方を含んでいた。生地を織るために使用される材料を指定するには、何名かの著者は「grass cloth」(草布)、「cloth of the country」(その島の布)や「common stuff」(一般的なもの)という曖昧な表現を使用し、糸芭蕉や苧麻の区別はしなかった。[15]

 琉球列島の芭蕉布に関する最古の、西洋人が残した明確な記録は、前述した徐葆光の『中山伝信録』1721)に基づいている、フランス人のイエズス会士アントワーヌ・ゴービル(Antoine Gaubil, 1689-1759)神父の記事「Mémoire sur les Îles que les Chinois appellent Îles de Lieou-kieou」(シナ人が琉球諸島と呼ぶ諸島についての覚書、1758年出版)にある。下記のゴービルの記録は、18世紀の琉球では、手織りに4つの主要な織物用の繊維があった事を示す。

引用文[16]            Le chanvre et le coton servent à faire une prodigieuse quantité de toiles; les bananiers à faire du fil & des habits.

        On nourrit beaucoup de vers à soie; mais les étoffes ne sont en rien comparables à celles de la Chine & du Japon.

私訳                      麻や綿は膨大な量の生地に為す事に使用されている。糸芭蕉〔の繊維〕から糸と衣服を作る。

                           〔琉球の人々は〕たくさんの蚕を育てているが、その〔絹〕布は中国と日本のものと比べがない。)

ゴービルの記録からは、芭蕉糸が日常生活に主要な織物用の繊維であり、普段着に織られており、「麻」布と綿布が大量に織られ、恐らく布地のままで商売されていた事が判る。「大麻」という植物は琉球にあった証拠が全くないので、ここの「」は恐らく「苧麻」の事である。

フランスで活躍したドイツ出身の東洋学者ユリウス・ハインリヒ・クラプロート(Julius Heinrich Klaproth, 17831835)は、19世紀初頭に西洋人の、琉球の歴史や文化に関する知識に大きく貢献した著者の一人であり、彼が著作した「Description des îles de Lieou-khieou, extraite d’ouvrages japonais et chinois(私訳:日本と中国の本書から抜粋された、琉球諸島に関する記述)」(1826)の中で次のように述べた。

引用文[17]            On fait avec les fibres des tiges du bananier le tsiao pou, étoffe usuelle; on en fabrique une autre avec une espèce de chanvre

                             (tchou en chinois) qui croît à six pieds de haut.

私訳                      糸芭蕉の茎の繊維で普段着のための蕉布を作る。また、高さ6フィートになる麻類の繊維(中国語で「苧」で別の布を作る。

クラプロートは、芭蕉糸の繊維を糸芭蕉の偽茎から採る事を指摘した最初の西洋人だと思われる。但し、tsiao pou(日本語で「蕉布」、恐らく「芭蕉布」の事)とtchou(日本語で「苧」、恐らく「苧麻」の事)のクラプロートのローマ字転写からは、中国語の資料に基づいた知識だという事が明らかになる。また、本記録の次に述べてここに載せていない部分の中の、熊、ジャッカルやオオカミなどの存在の言及からは、クラプロートは、ゴービルと同じように、琉球列島を訪れたことのない事が判る。

 数十年後、ペリー艦隊の外科医者であり、18531854年の間、琉球を訪れたアメリカ人のD.S. Green(グリーン)は「Report on the Medical Topography and Agriculture of Great Lew Chew」(私訳:大琉球の医療地誌と農業に関する報告、1856)で次のように指摘した。

引用文[18]             Banana (musa sapientum). This is not commonly reared for its fruit, if at all. Numerous patches are grown, the plants being

                              very close together, and must yield very largely the material for which it is cultivated. The fibres serve instead of hemp or flax

                              for manufacturing the cloth – perhaps mixed with cotton – universally worn. Paper, also, is probably made with it. Being thus

                              the source of clothing for the inhabitants, it is a most important crop, second to few, if any, on the island.

私訳                         バナナ(ムサ・サピエンテュム)。これは一般的にはその果実のために栽培されていない。むしろ特に栽培されているものではない。

                                栽培地が数多くあり、そこで群生する。その繊維を採るために広く栽培されている。その繊維は、おそらく綿と混ぜられるが、

                                麻やリネンの代わりに普段着の布に為される。また、恐らくこれで紙も作られている。つまり、この植物は島民の衣服の素材であり、

                                島の非常に重要な植物であり、他のものにも劣らないだろう。

ムサ・サピエンテュム(Musa sapientum)は実芭蕉の種類で、一般的にデザートなどにするバナナとして知られている。糸芭蕉とは違うが、グリーンは沖縄の島々にはこの芭蕉類(糸芭蕉)が豊富で、織物だけでなく紙を作る事にも最も重要な植物繊維だという事を強調している。

前述したように、20世紀になっても、植物学者でも、琉球糸芭蕉を実芭蕉の種類と同定しており、「Musa sapientum var. liukiuensis」等々と名付け、「Musa paradisiaca」の亜種として分類していた。グリーンと同じ中隊のアシスタント外科医者であったCharles F. Fahs(ファース)は「Report on the Botany, Ethnography, etc., of Lew Chew」〔琉球の植物学、民族学等に関する報告〕1856)で別の種類を規定した。

引用文[19]              Musaceae: There are several species of this plant, and I am inclined to think they are not cultivated for their fruit, but rather for the fibre

                               which they yield, and that Musa textilis is the principal one. I think it is this that affords the material out of which the natives manufacture

                               their coarse garments. The banana I never saw growing upon any of the trees, but I am informed there is an inferior variety sold in the

                               markets. 

私訳                         芭蕉科:この植物のいくつかの種類がある。それらが果物ではなくむしろできる繊維のために栽培され、ムサ・テキスティリスがその主な種だ

                                と思う傾向がある。この繊維が島民の粗い衣服を作るための材料だと思う。バナナ(実)は、私は決して見たことがないけれど、市場で売られて

                                いる劣勢の品種があると知らされている。

ここでは、琉球糸芭蕉は東南アジア諸国で見られる、繊維が採れる他のバショウ類であるMusa textilis(通称アバカ)と混同されている。18466月、フランス海軍の司祭であったジャン・バティスト・セシル(Jean-Baptiste Cécille1787–1873)は日本との関係を確立するために沖縄に航海した。セシルは同年の「Lettre au ministre de la Marine」(海軍大臣宛の手紙)の中で、芭蕉布を「étoffe d'abaca」(アバカ布)として指摘した[20]20世紀になっても、琉球列島の芭蕉布はしばしば「アバカ布」と呼ばれていた。その素材であるMusa textilisについては第3部で詳細する。上記の記録で述べられている、市場に売られているバナナは、恐らく糸芭蕉の実ではなく、実芭蕉の実のことだと思われる。このように、琉球糸芭蕉に学名を与える試みがされたが、グリーンもファースも、いずれも食用の実ができる実芭蕉と、繊維ができる糸芭蕉を明確に区別する事はできなかった。

上記の日本語、中国語、西洋語の資料から引用した記録は、1819世紀の間、糸芭蕉は琉球列島で手織用の一般的な繊維として広く栽培され、芭蕉布は庶民の普段着になっていた事を示している。又、当時には恐らく糸芭蕉の方が実芭蕉より広範囲で栽培されていたと思われる。




[1] Walker 1976324

[2] 初島1975908頁、堀田編 1989696頁)Constantine, DavidThe Musaceae: An annotated list of the species of Ensete, Musa and Musella1999;花城良廣氏(沖縄海洋博公園の熱帯・亜熱帯都市緑化植物園園長)から個人的に得た情報

[3] ドイツの医師兼博物学者Philipp Franz von Siebold(フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト、17961866)が琉球列島の糸芭蕉をMusa basjoo と名付けた(Verhandelingen van het Bataviaasch Genootschap der Kunsten en Wetenschappen, 12de deel[バタヴィア学芸協会論叢 第12巻]、103項目「MUSACEAE」)が、現在では「Musa basjoo」という種は繊維のためではなく観賞用で、中国から日本本土に輸出されたもっと耐寒性に富む他種である 。シーボルトは、生徒を通して、琉球列島を含む日本全国から植物を集めて研究したが、本人は琉球列島に行った事がないようである。後ほど、松村仁三(18561928)や牧野富太郎(18621957)という植物学者は、糸芭蕉にMusa sapientum var. liukiuensis Musa textilis var. liukiuensisMusa liukiuensisという学名を付けた。Musa」はバショウ科、「liukiuensis」は「琉球列島にある種類」という事で与えられたはずなのだが、前者のMusa sapientumは実芭蕉(バナナ)の種類の事で、Musa textilisは、第3章で詳細するが、abaca(アバカ)又はManila hemp(マニラヘンプ)の事でフィリピン固有種である。

[4] 初島1975908頁、堀田1989: 696Constantine 1999, M. balbisiana

[6] 『沖縄大百科事典』上巻「ウーバーラ」

[7] 『南島志』の下巻「食貨 PDF41頁)

[8] 原田1996175

[9]  国分・恵良199653頁、野尻19971

[10] 『中山伝信録 巻6』の「物産」PDF30頁)

[11] 原田1999519

[12] 高倉1968345

[13]『大島筆記』PDF41頁)、高倉1968358

[14]『沖縄大百科事典』上巻「大島筆記」

[15] 幾つかの例はBeillevaire 2000b147頁、166頁、199頁 [Beechey (1827)]206頁、208頁 [Peard (1825-1828)]214頁、226 [Williams (1837)]Beillevaire 2002153頁、156頁 [Hawks (1856)] にある。

[16] Beillevaire 2000a231

[17] Beillevaire 2000c187 [Heinrich Julius Klaproth (1826)]

[18] Beillevaire 200234 [Green (1856)]

[19] Beillevaire 200243 [Fahs (1856)]

[20] Beillevaire 2000d12 [Cécille (1846)]